在厦门壮年、Zǎi Xiàmén Maturity

2010/05/14 15:40定刻を30分程度遅れて、CZ386(NRT to CAN)搭乗。
飛行機乗るのも海外で生活するのも久々だと。

同日20時頃、広州空港着。
天候雨。
飛行機はあちこちを廻りながらやっと降りる。次にバスに乗り換え。
初めての中国は、読めそうで読めない漢字と併記している英語、暑くも無く寒くも無くムシムシという程でも無い外気、質の悪そうなバス燃料の軽油の匂い、自分と似てる顔みたいだけど周り全部中国語で喋ってたり携帯触ってる中国人、縮こまってる日本人観光客1
中国「南方」航空の「南方」と聞くと、どうしても「南方戦線」を連想してしまうのだが、あれはもっと南だがそれはそれとして、「あーここで爺さん達戦争してたんだなー」とか思ったり。

入国審査。
あの、この時点で次のMF8302(CAN to XMN)の乗換に1時間切ってるんですけどね…と思いながらも何とかなるだろう、と思いつつ、検疫・入国審査を通過。
(中国)国内線乗り継ぎカウンターで「Quick! Quick!」とせかされながら搭乗口を目指して走るも全然見えてこない…途中迷子になりそうになりながら空港職員らしき人にチケット見せながら「Where this gate?」みたいなカンジで何度も確認取りつつ。
ともかくでかいんだな、この空港。日本の比じゃぁ無いと思う。さすが中国と言うべきかも。
汗だくになりながら着いて掲示板を見て、周りの様子を伺ってる限りではまだ搭乗して無い模様。

しばらくして掲示板に「天候悪化で出発は1時間遅れ」みたいなメッセージやら、空港アナウンスでも同様の放送。
とは言うものの、中国語→英語の順での放送なので英語の方だけしか分からなかったが、そのアナウンスだけが頼みの綱だった。
更に時間が経つと、「雨で何時出るか分かりません、テヘッ!!」みたいな…
さすがに焦ってくる。
何よりもまず、「今ここで待ってる便が正しいのか?」というアホみたいな疑問がふつふつと。
例えば日本だったら、ゲートに係員が居て聞けるけど、この時間帯のせいもあるが係員は居ないわ、ゲートの中まで占拠してる人は居るわ、勝手に電源取ったりケーブル繋いでノート見てる人が居るわ、機内食を横領してるわと、さすがこの辺中国だなぁーと。
まぁでも何とかなるだろ、ではあったが。

そして機内食の配給が始まる。
群がる人々を尻目に、あちこち散策する気力も無く2 、「うわーすげーよ、周り全部中国語やん、何言ってるか全然分かんねー(w」だった。
そんな中で「そう言えば何でオレ、こんなトコロに居るんだろ」とよぎった。

 

話は今年2010年2月末にまで遡る。
社長から「お前、あと1ヶ月で実績出さないと首」と宣告された。
そこで思ったのが、「やった、やっと楽になれる、やっと自由に動ける」だった。
とは言え、何のアテも無かったので、次に就職できるのは年内一杯かかるだろうなぁという思いはあった。
しかしながらこの時点ではっきりしていたのは、「もう(いわゆる)IT土方には戻らない、もう少し自由に動ける環境を目指す」だった。
それが何であるのかはその時点でも、今でも見えてないが、ともかく月なんぼで雇われるお堅いITとは決別するつもりだった。
そしてその受け皿に、キーワードとして「オープンソース」を考えていたが、それで食っていくには大変じゃないかとか、そもそもどうやって潜り込むか、…は今後動いていこうという程度にしか考えていなかった。
ただ、今までみたいに目ぼしい企業を見付けて履歴書・職務経歴書を送って面接、と言った普通のプロセスの伴う就職はハナから考えず、「気が付いたら社員になっていた」が理想だった。

そして3月末、めでたく首になる。
正確には「自主都合による退社」だが、今更そんなのはどうでも構わない。3
別に喧嘩別れしたのではないので、最後の面談も和気藹々としたものだった。
思えばこの会社に厄介になった2年間、自分の厄年とも重なっていたためか、ともかく何事も上手く行かない2年間だった。
これをもう少し振り返らないと次に進めないと思ったので、知り合いのカウンセラーに相談したが、その時の気分は過去を振り返るよりもこれから先への希望とはいい難いが、少なくとも落ち込まない程度の期待があったのは事実だった。
更にタイミング良く…なのか、ケーブルで男性の更年期障害しがみつかない生き方の番組を見て4、悩むのを止めた。
やらなければならない事は沢山ある。まずはヒトと会う事だった。

一方で2年振りにハロワに行ったが盛況だった。
同時に、実は今年当初から思っていたのは「海外に出る」だった。
強いて言えばそれはかつての「満州国を目指す」やら「ハワイ出稼ぎ」みたいな、何の根拠も無く、そこに自分の理想があるのか分からないが、閉塞感を異常に感じる状況だった様に思う。当時は。今は分からない。
なので、シニア海外ボランティアのセミナーに出たが、英語力に問題があるので、まずは駅前留学以外で英語力を付けて、早くて今年冬に応募するか、というのが結論だった。

そんな中で、かれこれ20年近く経つ、知り合った当時は、自分が東京に出てきた頃、連中が中学・高校生だったが現在は経営者としてデザインを主業務としているオタク仲間と会う事になった。
「いやシゴト首になりましてね、シゴトくれませんか?」と言うつもりも全く無く…「首になった」までは言ってたが…、単にメシを食うつもりだったのだが、ちょっとやって欲しいことがある、と相談を受けた。それが何であるかは今の命題なので敢えて言わないが。
ところが事務所に場所が無いので、せっかくだからアモイの事務所でちょっとの間(3ヶ月)やりませんか? と相談を受けた。
中国かぁ…ネットでは評判良くないけど、そもそも自分はそんなに嫌いではないし、日本の文化の元々って…、というのもあったし、せっかくの無職期間を利用して遊びに行こうと考えていたのは事実だった。向こうでのコンピュータの状況を見たかったし。アテは大学の同窓会が上海や台湾にあるので、先輩風吹かせて行こうかと思っていた。
となると渡りに船なので、ちょっと悩みつつ「分かりました、3ヶ月ならば行きます」が、連休前。

話を広州空港まで戻す。
…実際にはここまで回想していた訳では無く、「あーそーか、オレ、カイシャ首になったんだ、だからここに居るんだ」だったが。
携帯は持ってるけど、アモイの現地との連絡も取れず5、ぼけーとしたり、タバコ吸いに行ったりして翌日。
…何か大声でケンカしてますけど6 … うわ、食糧の配給やってるんだ… あれ、まだケンカしてるの? おっさん、ゲートの中でタバコ吸いますか?
いやー凄い国に来たなぁと。エネルギッシュだわ、この国。
…うつらうつらして25時頃、27時に出発のアナウンス。

飛行機に乗りじっと待つ間も無く、寝る。
他の便の到着を待ってアモイ行きの客を拾うのか、更に2時間程、目が覚めてもまだ空港に居るのを何度か繰り返し、明け方になって出発。
乗客は係員にブーイングしてるけど、それよりもこちらは、「アモイに人が居るのか」で、こちらからは何の連絡もしていないけど、自分が乗り遅れたのではなく、便が遅れているので多分連絡は伝わってるだろうな、で一杯。
まぁでも何とかなるだろうな、ではあったが。

結局8時間遅れでアモイ着。居るし。
笑った。
こんな経験、滅多にしないだろうなぁと。

という怒涛の2日間を過ごして現在、自宅と会社の往復生活をしている。
コンロス島には行ったが、観光らしい観光は特にしていない。
食う事に関しては先人達の人体実験の結果、変なモノと巡りあわせる事も無く、至って健康。
そもそも、あまり海外に居るという実感が沸きにくい状況。事務所は大半の中国人スタッフと日本人なので、日本語が恋しいとも思わないし。

 

今後については未定。
実はこの会社の社員ではないので、給料を貰っていない。往復の航空券と現地での居住場所はギャランティされているが。
そもそも、こんなに早く就職決まって大丈夫なのかと言う思いと、仲間内でのシゴトに対する不安があるのでpendしてもらっているのもあるし、「morryさん、こんな筈じゃ」みたいに思われるのも辛いので、取り敢えず様子見ましょう、という事で。


名古屋市で? 餅と言うよりワッフル?

とは言え先週夜中、アモイ大学の傍の海岸で酒を飲んでいた。
向こう岸に中国本土の街頭の光が見えた。
何だろ。目の前にあんなに広大な土地があるのに、このままで終わるのも勿体無いと言うか、何か、こうふつふつと沸いてくるモノがあって…と言うのが今の気持ち。

Footnotes

  1. 1. 入国審査で聞いたところによると、吉林辺りへ行く観光客

  2. 2. ノート2台抱えていたので

  3. 3. 前の会社の経営状況が少しは耳に入っていたので、逆に一抜けできて良かったんじゃないか

  4. 4. いずれも武田鉄矢の週刊鉄学

  5. 5. 連絡先は知ってるけど、連絡方法が分からなかった

  6. 6. 多分便が出ないからどうにかしろではないかと推測される