個人的な1995・2005

1995年、平成7年

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1.17

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話は1994年年末・1995年年始に遡る。
1994年年末に、当時働いて住んでいた東京から中央道か東名か忘れたがクルマ1 を飛ばし、多少判断レベルが落ちてきた数時間後、吹田JCT/IC手前。
今でこそ山陽自動車道2 があるが、当時は中国自動車道か阪神高速しか無かった時代。
中国自動車道はゆったりと走れるが、社ICから175号線を南下する必要から更に時間を要するため、混むのと車足が速いのを承知の上で阪神自動車道を選択。
それが倒壊前の最後の走りになった。

当時自分は二交代制の基幹系オペレータを担当していた。3
当日は夜勤だったので寝ていたが、朝7時頃のオタ仲間からの電話(いわゆる家電)で「TV見てみ」で起こされてTVを見て目を疑った。
最初に飛び込んで来たのはヘリの空撮で、神戸上空から姫路方面に向けての映像で、所々で煙が上がっていた。

その後はTVに釘付けで実家に電話したけど繋がらなかったり(記憶あやふや、いずれにせよどこかの時点で繋がった)、通勤時に携帯ラジオを聞いていたり、夜勤の合間も控室に備えてあったTVにかじり付きで長田の街が炎上する様を見ていた。
自宅では、当時使っていたPerforma LC575とモデムでニフィティサーブに繋ぎ、掲示板?を追っていた。

現地に入ったのは2週間後だったか。
何事も無かった様な梅田から阪急に乗り、西に行くに従って徐々に倒壊が酷くなり、三宮手前まで、そこからは徒歩で高取まで。
ともかく埃っぽかった、崩れたままのビル、JRから見た夕日に映える明石大橋(が無事だった…当時まだ工事中)、などの記憶がある。

建前でも大学で物流を専攻していた者としては、こうもあっさり…でもないけど、脆くも物流ネットワークが停滞・崩壊するのか、一体何を自分は学んだのだろうかと。

3.20

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今年2015年の1月、警察の無線記録を公開したのを知ったのは、3月末だったか。4
まじまじと聞き込んでしまった。
そう言えば自分が小学生の頃は、警察無線を聞いていたなぁと。5

で、既に3分半頃からこれはただ事ではないとアタリを付けて、11分後頃からG案件(示威案件?)の体制を敷いている。
前例の無い事なので仕方無いが、爆破関連をイメージしていたみたいだが。
実際、自分が子供の頃は、1972年のあさま山荘事件、1974年の連続企業爆破事件など、おぼろげな記憶があるけど色々とあったみたいだし。6

前述した様に当時自分は二交代制の基幹系オペレータを担当していた。
職場が東京都中央区新川だったので、東京メトロ東西線を利用していて、最寄り駅が茅場町だった。
当日は前日からの夜勤だった。
朝、夜勤と昼勤の交代の引き継ぎに先輩が来て「爆破事件があった」みたいな事を言っていた。

当日、夜勤明けで上司に呼び出しを受けて「海外某所へ行ってくれないか」と打診を受け、大型連休明けから海外赴任になった訳だが、その日の東西線がどういう状況だったのか全く記憶に無い。
その後、早朝の上九一色村への強制捜査のTV中継を自宅で見ていた。
誰か橋本治だったと思うが「(不謹慎だけど)我々が期待したような事も無く、淡々とした」と書いていたのを記憶しているが、正にそういうカンジだった。

2005年、平成17年

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4.25

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当時は珍しく自社勤務…というか、都合15年近く勤めてこれが実質最初で最後…だったので普通通り出社。
事故は会社に備え付けのTVで。
自分はそれ程でも無かったけど、(片道で)天下ってきた上司・経営層が元々そっち方面の方々がメインなので、色々と思う事があったのではないかと。

当時担当していた案件7 、年末まで見事なデスマ進行で、会社対会社の揉め事8 など、色々と遺恨の残る仕事だった。
当時の先輩はその後、確か自分が辞めた後、夜間作業中に持病(心臓関連と聞いている)の悪化で突然死、というのを後輩から数年前。
ぶっきらぼうで口は悪いが根は優しい先輩だった。
先輩はこの案件配属当初からキナ臭さを感じていたが、自分が明らかにダメだ、と思い始めたのが秋頃だったので…

補足、1985年、昭和60年

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【史上最高スレ】本当?グリコ森永事件【完全永久保存版】 – NAVER まとめ

今更、「昭和って64年も続いたのか」とちょっと驚き。9
確か、グリコ・森永事件10123便があったが、まだ10代後半なので「TVの向こうの出来事」感が強かった。

いわゆる「ITバブル」の頃だったと思うが、派遣先のツーリング・ドライブ11 で(おそらく)R140、御巣鷹山の傍を通過したり、個人的に「突発時に人間はどう対処するのか?」というのに興味があって「墜落遺体」を読んだり。


夜中にこの投稿を書いている最中、集中している間は全く気にならないが、ふと一息付いてみると、何となく背筋に来るモノがあって。
別に霊感が強い訳でも何でも無いのですがね。

Footnotes

  1. 1. GA70・NA2.0L・ATだった記憶が。今から考えるとこんなロングノーズで無駄に重そうなクルマ、乗りたいと思わない…

  2. 2. 今は、三木JCT・布施畑JCT、阪神高速7号北神戸線・3号神戸線、がゆったり走れて楽。

  3. 3. 確か前年にバブルが崩壊して、それとは関係無く社会人になって初めての常駐派遣の開発案件が完了すると同時に、このオペレータに回されて非常に忸怩たる思いで業務に就いていた。言い方が非常に悪いけど、大学まで出て何故こんな事を、だった。この経験も多少は経験値になるかと長い目で見て、と納得させるしか無かった。実際に今役に立ってるかどうかは分からない。少なくとも運用時に困らないように開発する姿勢だけは身に付いた気もするしそうでない気もする。

  4. 4. この記事を投稿しようと思ったのも、これがきっかけになる。

  5. 5. まだスクランブルがかかってなく、聞くのは違法ではなかった記憶が

  6. 6. 上の世代のこういった動きを見ていて、結局若者の政治活動って最終的にはこうなる(内ゲバでオワタ)、みたいな虚無感というか冷めた目というか嫌悪感というか、そういうのがあって、政治には一切興味を持たず、マンガやアニメに走った、とも言える、自分は。ついでに言うと、自分は80年代には非常にシンパシーを感じるが、60・70年代カウンターカルチャー・サブカルチャーには嫌悪感すらある。歳と共に薄らいできたが。

  7. 7. 誰もが知っているだろう企業なのでユーザさんの名を伏せるが、日電のCOBOL/Sの基幹系フレームワークからOracleとそのストアド・プロシージャへのリプレース・機能増強案件だった。

  8. 8. 誰もが(rya がプライムになり、二次受けで(当時の)自社と別の二次受けとで揉めて、個人的な印象では相手先が因縁めいた文書を寄越して自社がそれに応える、みたいな。人がヒーコラしてる間にお前らはこんなくだらん事をしてるのかと。トイレでチャックを開けず放尿するスポットで入ったリーダ、その後を継いだ野心溢れる若きリーダ、自社を見切って去って行く下請け企業、火事場に駆り出された使えないプログラマなどなど、悪い意味で人間味溢れるプロジェクトだった。

  9. 9. と同時に平成も早27年過ぎたのかと驚嘆。

  10. 10. 2000年2月12日時効。ニコ動にあるこの脅迫電話の声はNHK「未解決事件」で劇団の子役を使った、と聞いている。

  11. 11. 当時はGC8G47D。その後のゴタゴタで手放すことになったが、勿体無かった事をしたと今も後悔している。