一つの時代の区切りを迎えて

訃報:コミケット代表・米澤嘉博氏が死去

昭和から平成へのうねりにおいて、気が付けば昭和を代表するヒトを失ってきたが、今回もそういう感じがした。
もちろん、存命中は全くと言って良い程意識しないのであるが。

んじゃぁ今回は何を失ったの? になるのだが、何と言うか、「オタク」そのものが昨年あたりから露骨に消費され、117号は遠い昔になった1 …のか、単に勘違いしていただけなのか、ルサンチマンを感じる事も無くなった、という雰囲気の蔓延。なのか。
こういう「おたく」「オタク」そのものの定義・存在理由そのものの共同幻想的なあり方、が変わりつつある中での、イワえもん2米やんを失った今、おそらくは10年後・20年後の自分が、今の状態を総括するのではないかと思う。
いや、何がどう変わる、とか全然分からないけど、「何かが終わった」という気がする。
そのターニングポイントの一つに今回の悲報がトリガになる可能性はあるかもしれない。
けど、おそらくは今年の冬、でなければ来年の夏も、いつもの夏と同じく、相変わらずコミケに行って何かをしているんじゃないかと思う。
もちろん、今自分達が共有しているコミケがコミケたりえたら、のハナシになるが。

ここでコミケの今後をここに書くのは止めたいと思う。
個人的に自重しなければならないのは、そもそも自分達の出所って、どちらかと言うと「疎まれていた」と言っても過言ではなかったのではなかろうか? と。
今更こんなコト言っても何にもならんし、今の今まで完全に忘れていたし。先住民を今更どうのこうの、なんてのは全く無いし。
当時跋扈しつつあった留美子系の「面妖系」と「ファンジン」を全く区別しない参加者がほとんどで(話に聞く限り)、個人的には肩身の狭い思いをした、というのは無いけど、だからと言って、コミケそのものが、これら両者を差別して扱っていたのか3 良く分からないが、少なくともそういうハナシは聞いた事が無い。いや、実際は知らないけど。
これがコミケの懐の深さ、みたいなものかと今になって思う。
そういう恩義みたいなのを感じているので、他人が何を書こうが言おうが気にしないが、眉間に皺を寄せて訳知り顔で、コミケの今後を書く気にはなれない。

でも、オタクを金の成る木としてしか見ていない連中とか、「体制側」への身売りだけは止めてくださいね、とだけ。

Footnotes

  1. 1. 当事者にとってはそれはあり得ない。

  2. 2. 今となっては物凄く昔に感じるけど。

  3. 3. 例えば、割り当てサークル数を減らすとか。