SNS、割とアンダーで電波で個人的な

この投稿をコチラに書くか、表に書くかで悩んだが、電波が多くなりそうなのでこちらで。

以前から「SNS疲れ」(SNSの利用から起きる“ソーシャル疲れ”の恐ろしさ – NAVER まとめ)と言われていて「そうだよなぁ」と思う事がしばしば。
とは言え、仮にも現在、自称「自営業」「フリーランス」なので、特にFacebookは外す事ができない状態。
人によってはTwitterで職を得たりシゴト増加になったと聞くが、今の自分には考えられない。

諸々

Facebookを始めたのは3.11の少し前。
それ以前の約1年はTwitter・Facebookが通じない国に居たので、帰国に合わせてFacebookアカウントを取得。
同様に、Twitterもその頃、アカウントを取り直して再開。(理由は後述)

当初はどのWebサービスか忘れたが、TwitterのつぶやきがFacebookにも連動して投稿されるサービスを利用。
…なんだが、「オタク・技術的なネタやネガティブな意見を投稿してFacebookで「いいね!」は同情してもらってるみたいで痛いわ、ヤメレ」(意訳)と指摘されて、ムカッと来ながらも連携を解除。1
この件に関してはその後、他人のFacebookの投稿を他山の石として見廻した場合、確かにその通りで、基本的にTwitterのつぶやきとFacebookの投稿は馴染まない、と思った。
なお、現在はつぶやきに #fb を入れる事でFacebookに流れるサービスを利用、ただしほとんど未使用。

Facebookを始めた頃は、Facebookの方がTwitterより面白い気がしていたのも事実で、それを知り合いに言うと「アンタがリア充だから」と。
当時、フリーランスが集まる場で名刺交換、Facebook申請or承認、といった流れで、場合によってはTwitterやFoursquareあたりまで、そこまでフォローしてまるでストーカーだなぁと思いながらもSNSの輪を広げていた。
Facebookで投稿するネタは、私自身が食べ物に無頓着なため、そういった投稿ではなく、IT、どちらかと言うとSI系の記事に一言感想を添えてシェア、というのがメイン。
当然、「いいね!」やリプライの数は少ないが、一種のイメージ戦略と割り切り。
その後、自分が現在住んでいる町(「おらが村」)の投稿を意図的に増やしたり。
割と反応があったのは、私はほとんどタッチしていない父親の趣味の「土いじり」絡みの野菜の写真付き投稿。
イメージ戦略の一環として、Facebook繋がりの人達に父親が育てた作物を提供してたので、私自身が農業やってるのと勘違いされる事もあるが。2

そうやってFacebookが日常に食い込んで来る中で、どうにも付いて行けない、もっとはっきり言うと「気持ち悪い」と感じるのがあって。
例えば小ネタを挟んだ「おはようございます」投稿とその投稿に対する「いいね!」や小ネタに対するリプライが3桁!
この投稿を目にした最初の頃は失礼ながら「何かの宗教か?」と思ったが、もう少し考えてみて、「朝の朝礼」という結論。
これには原因があるらしく、SNS・IT系に疎い方々をFacebookに引き入れた場合の常套句みたいな「教育的指導」としての一面とのこと。
同様に朝からテンションを上げる一言投稿や感謝系・前向き系の投稿、「ありがたいお言葉」系3 で、何故かこういった投稿には「いいね!」が多い。
確かに前向きな投稿は割と「いいね!」を得やすい気がしてるが、それを続ける気力は自分には無い。
気になったのでその後、そういう投稿をしていた人は今どうしてるか見たが、続けている人、減った人、人様々…
一方で明らかに減ったのは「感動・心温まる話」の回覧板か。
相変わらず減らないのは診断ナントカ。

ま、いいんですよ、人それぞれで。
良い意味で「ま、そういう人だし」とか「自営業なんでカラーが必要だしね」と割り切ってる。
更に追加して言うと、ソーシャルネットワークでマーケティングしている人からは、物理的な書籍への回帰や自身のブログの充実、といった流れも。
ただ、つぶやきや投稿は、「書き物で何かを表現する」欲求、ブログを書く行為の代償行為になるのかなってしまうのか、極端にモノを書く時間が減ったと思う。

以上が自分が付いて行けない投稿だとすると、一方で拒否反応があるのは政治・重めの時事ネタか。
個人的にFacebookは名刺交換プラスα程度の付き合いの社交場という認識があるので、社交辞令的なプロトコルでタイムラインが占められてる中で、ヘビーな話題を挟まれるのは、はっきり言ってしんどい上に思想が違うとさすがに…と。4
割と本気で切れそうになり、この思いの丈をはてな匿名ダイアリーあたりでぶちまけたくなる時があるが、正直何処まで匿名ダイアリーが匿名性を保っているのか分からないため思い留まっている。5
この解消法は後述。
とは言え、投稿が表示されない様にしてたまに覗きに行く程度にしていたが、相変わらずでさすがに鬱陶しいので、切った。

Facebookの投稿で思ったのは、このブログの様な、否、数十倍薄めた投稿でも、まず反応が無い事か。
これは私の交友関係がそういった層じゃ無いのが大きいのかもしれないが。
およびそういった場では、そうは思われてるかもしれないけど(同人誌を作っていた事は公言している)、そういう風に見られない様に振舞っているのもあるのではないかと邪推。
例えばそういう系のFacebookページも極力「いいね!」しない様にはしているが、多分他の人のFacebookの右サイドのおすすめページに私が「いいね!」したと出てるんだろうなぁと思うと…

また、女性との距離の置き方が難しい、と言うか、既婚女性・若い女性には極力関わらない様にしている…のは、何度か私がイタイ思いを晒しての結果。
例えば大学の後輩で既婚女性には、他の後輩達がフレンド関係であったとしても、ちょっと申請しにくいのでスルー。

それでは例えば子供やペット、食い物の話題は?(FacebookのWall投稿を何故うざいと感じるか (らーめんとこどもの写真をめぐって) | ・゜゚・ saereal blog ・゜゚・)と問われると、私自身が興味無いので基本スルー。
子供に関しては、成長記録替わりなのか、わざわざブログと連携させているのを見かけるが、「子供は親の望む様に成長しない」ので、どうなんだろうなぁと。
対して、劣等感を抱かせるネタは、例えば、シゴト絡みで何処に行った、実績に関する投稿か。

ここまで嫌な思いしながら続けてるのは、ありがたい事にエッジの尖った方・造詣の深い方が多く、Web系・IT系に関する有用な情報が集まるからであって、「面白いから」では決して無い。
しかし。

戦略的撤退

以上、割と時系列がバラバラであるが、前述は「今」の気持ちであって、「Facebook、もういいか」と思わせる事があり徐々に撤退してきている状態(現在進行形)。

一番のショックは、私と、割とこちらでは有名な人(もちろんこの人はリスクを取り精力的に活動しての結果だと思う)が同じ記事をシェアして反応の差に打ちのめされた。
いわゆる「評価経済社会」を目の当たりにした負け犬の遠吠えとでも。
やたら私は「いいね!」にこだわっている気がするが、例えばこのブログは自分の十数年来のライフログなので無反応上等、と言うかスルーして下さいお願いします、だけど、Facebookは言ってしまえば「見てーや、こんな興味深いIT記事見付けたで」と言ってもシーン!としてる状態がイメージされて。6
しかも、キャラが立ってる、つまりそれだけ実力がある人の、たわいもない「つぶやき」のレスポンスの方が良いのを見させ続けられるとさすがに。
となると、かけた労力に対してのリターンが目に見えにくく、それまで無邪気にIT系の記事をシェアしたので、私という人物が何者なのかは分かってもらえたんじゃないかという事で、基本、投稿はストップ。
そういう視点から見てみると、日常の軽い出来事を記事にする方が共感を得てる気がするなぁと改めて。
確かに先鋭化すればする程、そのネタに付いて行ける人口は限られるし。

そういったネタを他のWebサービスでライフログ的に扱えれば良いのだが、そういうサービスはNewsPics・Gunosy・SmartNewsあたりか。
以前、引用とコメントを投稿するWebサービスがあって使い勝手が良かったのだが、残念ながらサービス停止。(サービス名失念)
NewsPicsのアカウントを作ってみたのはいいけど、有名人にぶら下がるカタチで自らが情報を発する、シェアするよりも有名人のネタにコメントする、みたいに思えて積極的に利用できず。

そこではっと気付いたのが、私がSI系に関してコメントをするのは、はっきり言って「老害」じゃないのか、と。
確かに以前は最前線に居たが、今は無関係だし、一世を風靡した訳でも無い私が、まるで過去の栄光にすがりついてる醜態な存在に思えて。7
あるいは、かつて一花咲かせたプロ選手がコメンテータになり、いささか的外れな発言を繰り返してる姿がダブって。

現状、Feedlyで記事を追ってはいるが、積極的に何かコメント・シェアしようとは思わなくなった。
強いて言えば、そのプロダクトのWebサイトに飛び、Facebookページの「いいね!」、もしくはTwitterのフォローという形にしている。
更に言うと、IT系のFacebookページでも「いいね!」した事もFacebookのアクティビティから非公開にしている。

次に取った行動は、Facebookに限らないが、私の投稿で反応が無かった投稿を無慈悲に削除。8
いずれは、私自身に意味の無い投稿だったら、まとめて削除するのではないかと。
ついでに、Facebook・Twitter・mixiアプリをiPhoneからも削除。9
何だろ、人生のガベージコレクションとでも言うか、そういった雰囲気が周期的に訪れるみたいだ。
ついでに、個人情報に関する諸々の情報を非公開に変更。
これに関しては、例えば誕生日で、慶弔事が苦手な自分からすれば、世俗的な感覚で言うと、誰か一人に「おめでとう」とすれば、交友関係全てに「おめでとう」しなければいけない気がしたので自分の誕生日を非公開にしつつ(ただし年は公開)10 、それはつまり、誰にもおめでとうしないよ、という意志の現れ…は通じないだろうなぁ、察して欲しいが。

他には、単に自分のイベントへの導線としか使ってない人とフレンドになったのは早まったと。
思うに、確かにリアルの場においては「一期一会」なのだろう。
しかしFacebookという場では、「三期四会」くらいの気の長いスパンでいいんじゃないかと。
もしくはその人をフォローする、でいいんじゃないかと。
例えば一回しか会ってなく、自分とは全く縁も無く、それ程印象に無い人とフレンドになっても、その人の発する情報の意味や価値が分からない状態で「誰だったっけ?」な状態。
始めた当初はフレンドを増やす行為そのものが面白いが、ある時期を過ぎると「選別」(言い方が悪いが)という作業が必要になるんじゃないか。11

そしてそうやって2012年頃から一旦Facebookから遠ざかると、Facebookのタイムラインがまるで別世界(他人事)の様に。

一方のTwitterだが。
未だに良く分からない、何を投稿すればいいのか。
現在のアカウントは2回目で、以前取得した時もこういう気持ちだった。
良く分からないのが、何経由で私を知って何故フォローしてるのか分からないパターン。
一方で、ある記事の反応を知るために検索をかけたりはするが。
例えばある事象(記事)に対して、Aが多数で自分もAに近かったらスルーだが、Bという真逆の意見やCという全く別の意見を述べにくい気が。
140文字では少な過ぎるし、誰かに絡まれた場合、非常にエネルギーを使う割には何の効果も無く、場合によっては恐ろしくマイナスの効果を与えられる場合もある、と考えてしまう。
特にバカッターの登場以降、どの投稿がトリガになるのか皆目検討が付かないのが非常に怖い。

ホント、向かんね、インターネット、特にテキストメッセージという場は議論に。12
私が欲しているのは、「ディベート」ではなく「ネゴシエーション」のプロセスを見たいのだが…これはネット以前の永遠の課題だろうけど。
まるで朝までナントカの如く、相手に割り込んで、相手を大声で打ち負かして、フォロワーを増やして、みたいなノリではシビアな案件の判断材料にはならないし。

なので、Facebook・Twitter・後述するmixiも含め、勢いで何か投稿しても思い留まって削除・非公開(の後削除)にするケースがかなり増えた気が。
そうして、私は投稿するのを止め…てはおらず細々と続けてるけど「何を投稿すればいいのだろうか?」という変な悩みを抱える状態に。

現状

Facebookは「いいね!」程度、Twitterはリプライがメイン、に落ち着いている。
それでも何か言いたい気分の時は、今更ながらのmixiで吠えている。
ここには二十数年来の付き合いのあるオタク仲間しか居ないので礼儀は必要だが気兼ねなく書き込めるので。
それと、ネチケットとして、絶対にそのエアリプ対象が居ない空間がmixiなので。
はっきり言って私はエアリプが嫌いです、大嫌いです。
仮に自分宛ての投稿でも無く、逆に自分に非があっても、限られた空間とはいえ公の場で注意されるのは。

他には…
Foursquareはライフログの一種と捕らえ、気分次第でTwitterやFacebookと連動させる事もあるが基本連動せず。
Shazamは結構Twitterと連動させるが、音楽に詳しいフォロワーが多いので、Twitterとの連動は躊躇する。
Pinterestはある時点から急にRepinやLikeがどわっと増えて以後、ボツボツと、という気がするが、自分オリジナルの投稿では無いので。
一時期「Facebookに継ぐSNS」みたいな扱い受けてたけど、今となってはねぇ…な気もするし、個人的にはまぁ良いか的な軽いノリでアカウント削除するかもしれないなぁという気分。
はてブはマイペース。
mixiはそれまでFacebookで投稿していた様なIT系の話題、オタ系の話題。
ただしIT系の話題はいずれ別のSNSに投稿したいと思っていたので、多分三度目のTumblr取得。
Evernoteとかにライフログ的に書きゃいい気もするけど13 、ローカルに記事を抱えたくなかったので(データ量が増える…)、やはりクラウドの何処かにデータを持たせたいと思い取得した。
アカウントに紐付いているGmailアカウントもいつも使っているのではなく、別途取得した物なので…当然他SNSとの連携なし…、誰からも検索に引っかからないと思うが…の以前に今更Tumblrみたいな気もするが、三度目に取得してみてアレはアレで使いやすい気がする。

今後

できれば、時間をかけてでもSNSから消えはしないが「薄く」なりたい。
某キャラみたいに「忘れて下さい」とまでは言わないが。
実際、全く発言する事が無くなり、リアルの場でも全く情報が入って来ない人が居る。
その人に対する今の気持ちは、昔の人の言った「便りの無いのは良い便り」と間逆なのが不思議で。
実際、私も現在リアルで人と会う機会を意図的に減らしているので、変に心配…と言うより気にされてる気が。
何と言うか、自分達の若い頃はSNS無かったんだよなぁと、と、と、これを力説してしまうと「老害」認定されるんじゃないかと思うけど、それでもそう思うし、それで生活してたし。
ただし、コミュニケーション手段は郵便・電話・FAXなどがあり、フルに活用していたけど。
そりゃ当時と時代も違うし、SNSを上手く使う、付き合えばいいだけの話だと思うが。

失礼な言い方をすれば、私生活を切り売りしてオゼゼ頂いてる訳じゃ無いんで自分。14
特にシゴトに関して自己顕示欲の強い投稿をしてる人が、これから先も同じ様なペースで投稿できるか…は他人事だから良いとしても、自分も同じ様に振る舞えるかと。
それと、結局は直接会って話しないと駄目じゃないか、始まらないじゃないか、という至極当たり前の結論に。

「私という存在は知ってる人が知っていればそれでいい、薄く広くよりは狭く深く、みたいな?」
というビジネスモデルができれば良いんですがねーというのが本稿の結論。

備考:最期の時

いやいや早とちり・勘違いされても困るが。
いずれ私という存在がリアルから消える日が来る…もちろん今すぐではない。
その時、あらゆるWebサービスを消去する、死ぬ前にやっておきたい死後のSNSアカウントの管理「いつやるか?今でしょ!」 – NAVER まとめ、みたいな対応はしておきたいと。
もっとも私の場合、一切の痕跡を残さず、を所望するが。

自分の場合、相続の関係もあるのでエージェントを立てて一切合財を任せて、ついでにFacebookにその旨投稿してもらって三回忌の後にでも全削除、あたりが理想。
肉体が亡くなっても、誰からも思い起こされる事が無くなった時、誰も私の事を知らない人しか居なくなった時が本当の「死」だと割と本気で思っている…をSNSでもできないかと。

Footnotes

  1. 1. ま、言った本人の投稿は私から見たらリア充そのもので(それだけ色々苦労されてるのは分かるけど)、もうこの人とは、今後二度と会うことはないだろうなぁと思うには充分かなぁと。ま、いいんですけど。

  2. 2. これはFacebookでも書いたが、農業は今の自分には気楽に始められるかもしれないが、土に生きるのは生半可な事では無く、また、その土地や人間関係に縛られるため、そう易々と手を出せない気がしている。ま、それも飽きっぽく面倒臭がりな性分なのかもしれんが。

  3. 3. しかも年配の方なのでFacebookの若者に嫌われる…

  4. 4. 現政権の首相をアバターに使う同年代独身が居て、自分もそういう目で見られないかと思うと迷惑で。

  5. 5. 他の理由は、自分はチキンなので、私が思い描いていた以外のレスが付くと(誹謗中傷系)、間違いなく凹むと思うので。

  6. 6. これは私の交友関係の大半がWeb系ではあってもIT/SI系では無いので仕方無い面があると思っている。

  7. 7. ただ今のSI系の現状は色々な面で「矜持」にしか思えないが。

  8. 8. Twitterの場合はWebでは最古の投稿まで訴求できずiPhone版で対応。

  9. 9. Facebook Messenger・Foursquareは残している。

  10. 10. この場合、Facebook的には1月1日が誕生日になるらしく、Twitterでおめでとうと言われて弁解。

  11. 11. この関係性はTwitterの方が希薄なので気楽にフォロー&アンフォローできる。

  12. 12. じゃなくて私がSNSやインターネットに向かないのかもしれん。

  13. 13. シャウトしたい投稿を誰にも見せず何らかの形で非公開なデータとして書く事により、溜飲を下げている人も居るとは聞く。

  14. 14. NDAもあるし。