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しかし多分違うし、そうは見ていない、というのが結論です。
理由は後述しますが。
Coworking Japan Advent Calendar 2011 2011/12/25の参加文章なので、コワーキングに関しての投稿なのですが、自分は昔噺をしたいと思います。
紹介が遅れましたが自分は神戸中心に「IT土方」をやっているmorryと申します。
リアルに会った方には、分厚いダンボール名刺をお渡ししていますが、ご記憶にあれば幸いです。
イントロダクション, 1985
で、のっけから妙なビデオを提示してみます。
…痛い…全部見れない…*
と、最初の5秒だけ見ていただければ充分です。
さてこの痛さ、2種類あるんじゃないかと思います。
まず、大半の人が感じるであろう「他者への痛さ」で、これは至極当然かと思います。
ぶっちゃけて言うと「オタク、キモッ」というやつで、そりゃ当然だと思います。
もう一つは少数だと思いますが、「自己への痛さ」と言うか「若気の至り」と言うか。
自分はどちらかと言うと後者の方が強い…も何も、この撮影の場には居なかったけど、数年後毎年ここにいましたので…
例えば上記の映像、「ラム同* 相変わらずやなー」程度には「中の人」でしたし、晴海、幕張、ビッグサイトと渡り歩いてきた変遷を肌身を持って体感しています。
…という訳で以下、「コワーキング」とは直接何の関係も無い噺を延々と続けさせていただきたく思います。
結論をお急ぎの方は、「結論めいたこと」をどうぞ。
同人活動のマネタライズ・ビジネスモデル
普通、同人誌は何かを表現したい者が紙の上に描|書いて、それを発表する場としてコミケを始めとする即売会に参加する*、というパターンが大半かと思います。
しかし、自分(達)の所属していたサークルは「会員制」という、今は死滅したと思われる形態を採っていました。
流れとしては、
- 同好の者を募るためにまず、アニメ雑誌などに会員を募集する。*
- 会の参加者やゲストに原稿を依頼して何かを描|書いてもらう。
- 同人誌を作成する。*
- 会員には基本無料配布、余った同人誌を即売会で売り*、更なる会員増に繋げる。
- 同時に、再びアニメ雑誌等に作成した同人誌と共に掲載してもらい、更なる会員増に繋げる。
になります。
全国の会員とのやり取りは、基本メールが中心でした。*
メールと言っても電子メールではなく郵政郵便の事です。
当時は気にしていませんでしたが、数年前に当時行動を共にしていた者と話して合点が入ったのは「あの頃はmixiとかやってた様なもんだよね。リアルでもペンネームでそのまま呼び合ってたし」でした。*
電子のスピードが無かった時代に、郵便等を利用してコミュニティを形成していた訳ですね。
同人活動の拠点
自分が所属していたサークルは、会員が100名近くにまで増え、夏・冬のコミケで販売する同人誌、その期間を埋めるための数ヶ月に一度発行する会報誌を作っていました。
これらの活動を支えるスタッフは大半が東京在住で、集まって次に発行する同人誌のテーマを決めたり、編集をしたり、会員に対する各種フォローや事務作業をしたり、といった活動をしていました。
学生が主だったスタッフも社会人になり、時間的制約が増えたけど逆に、多少金銭的に余裕が出て来ました。
なので、編集室、つまり、アパートの一室をスタッフの共有財産としてスタッフ各人がおのおの負担して借りる事になりました。*
まさに「オタクの部屋」そのものでしたが、純粋に編集作業を行なうだけでなく、訳あって自宅に置けない私物を持ち込む者、終電を逃した者、コミケで上京した者が泊まる場所、仲間で遊ぶための待ち合わせ場所、等々、様々に機能していたと思います。
編集作業も、サークル以外で各人が作ってる同人誌を編集するといった多様性も多少はありました。
同人活動の終焉
述べていませんでしたが、自分達は高橋留美子の同人誌を作っていたファンサークルという形態になります。
その高橋留美子(以下、留美子系と表記)ですが、「うる星やつら」「めぞん一刻」までは、自分達の様なオタクを読者層にしていましたが、「らんま1/2」以降は自分達の層は切り捨てて一世代下の、特に女子中高生に読者層をシフトさせた様に思えます。
そうなると当然、サークルとしての求心力やモチベーションも衰える訳です。*
そして2000年に「散会」を宣言してサークルとしての活動は終える事になります。*
ですが、その後BBSやmixiのコミュニティとして残り、参加自由な環境に移行しました。*
また、サークル本体は無くなった訳ですが、同人活動・オタク活動を止めれる訳も無く(w、夏と冬のコミケの時にはアワーズイン阪急にかつての仲間達と集団でチェックインしたり、土曜夜に秋葉の素材屋に行けば十中八九○○さんが居たり、20数年前から数年に一度というサイクルでしか会ってないけど、会えば、「まいどまいど儲かりまっかぼちぼちでんな」と和気藹々とやってます。
勿論、同人誌を作っている者もいますし、漫画家としてプロに転向した者もいますし、繋がりからいえばアニメで脚本を書いている者もいます。
今更ですが、自分達の作った同人誌や会報を見ても、留美子系以外の話題、例えば近況報告やいわゆるマイブームなモノの紹介、音楽や他の漫画・アニメについての話題等、他のサークルではあまり見られない様な内容だった様に思えます。*
なので、サークルとしては無くなりましたが、今は各人がそれぞれ緩い繋がりを持っている状況と言えます。
閑話休題
どうやら留美子系はSFコンベンションの流れを引いているのか、人材が重なっていたのか、自主的にコンベンション、今で言うカンファレンス的なイベントを行なっていました。*
地元神戸でも1987年に開かれましたが、それが最後の留美子系のコンベンション「KEMOCON5」* で、神戸のホテルで一晩中、愛すべきおバカな連中がおバカなコトをやってました。
そして20年以上の時が過ぎ、本年2011年に神戸で日本最初のコワーキング・フォーラムが開かれるとは、両方ともスタッフとして参加した自分からすれば、感慨深いものを感じます。
もう一つ、留美子系に限らず、会員制サークルに限らず、同人誌を仲間で作る、というコミュニティは全国津々浦々雨後のタケノコの如くどんどん作られては消えて行き…を繰り返したと思いますが、おそらくは活動している人口は減らず、むしろ増えてきたんじゃないかと想像されます。*
更に言うと、同人誌を作るための環境もどんどん広がって整ってきました。
例えば、同人誌専門の印刷所や、オリジナルグッズ作成のショップ、コミケ以外の即売会の開催の多様化*、元々同人で活動していた作家がメジャー誌デビューしたり、プロになっても同人誌活動を続けたり、コピー機の進化、DTPや画像編集ソフトの進化、同人誌を扱う専門書店の充実等々が挙げられますし、シンボリックな空間としての「秋葉原」* も特筆すべきかと思います。
同人活動の外側
敢えて触れていない話題に1988年の幼女連続殺人事件という、痛ましいとしか言い様の無い事件がありました。
そのため、ある世代はオタク活動に関して公私使い分けて生活しています。
勿論自分もその一人になります。
できるだけ人目に付かずに、仲間内で自分達は自分達のやりたい事をやりたい様にやってきただけです。
なのに気が付けば、オタクは当初の「お宅」「おたく」から「オタク」へ、そして「マニア」の代替語となり、信じられない位に「萌え」やアニメ・コンシューマゲームが世界に流通して* 巨大なマーケティング云々と言われて* 戸惑うと同時に反発もあります。*
その辺のマクロな状況は、岡田斗司夫の著書「オタクはすでに死んでいる」で述べられている通りかなと思いますし、自分は彼の「俺たち、よくがんばった」に救われた気がします。いやマジで。
コミケ発足人の一人である米澤嘉博さんが亡くなった2006年にこう思いました。
そもそも留美子系は、コミケにそれまで一般的で無かったロリコンやエロ* を持ち込んだ異端的存在だったのに、全く区別せず締め出しもしませんでした。
自分達でさえ、私達は健全でエロではありませんと公言するサークルもありましたし、宅八郎や宮崎勤はオタクじゃないという発言や思いもありました。
しかしこの懐の広さが時を経て、何の宣伝もしていないにも関わらず数十万人規模を動員するイベントに成長した原動力だったのか、とその時、実感しました。
自分自身の同人活動と長めのモノローグ
前述したビデオの当時、自分は高校生で地元加古川* 在住でした。
その後、浪人*、大学*、サラリーマンとしてIT土方、企業のシステムを構築するSIerになるために* 上京して、当たり前のようにスタッフになったのが1992年です。
当然、仕事は仕事として、各企業様に常駐派遣として主に基幹系のシステム構築に従事していた一方で、そちらとは別の顔で同人活動をやってました。
サークルが散会した2000年以降は、彼等彼女等との付き合いは残りましたが、同人活動をやめて仕事の幅を広げるため、仕事を終えて帰宅した後や休日はオープンソースやWebをずっと独りで勉強していました。*
ただ、どういう訳か、ITの展示会には何度も足を運びましたが、これらのコミュニティには属しませんでした。
いわゆる普通のサラリーマンでそちらで生計を立てていたために足がそちらに向かなかったのと、同人の仲間がいたのが要因かもしれません。
その後紆余曲折があり、本年3.11の前に地元に戻らざるを得ない状況になりました。
機転があったのは、大学の後輩である浮草Jelly|浮草夜会の山崎君と夏に大学の同窓会で知り合い、夜会に参加して、その後、神戸のカフーツさんにお世話になる、といったカンジでしょうか。
一方で、色々あって当たり前の様に履歴書・職務経歴書を書いて面接してある企業* の社員として採用される、というプロセスに疑問と抵抗もありましたし*、この歳での再就職は厳しいのかな? というのもありました。
また、東京で仕事をしていたため、関西での仕事の繋がりが全く無かった、というのもあります。
自分がこれから先も食っていくためには、コワーキングしか今のところ見付からない、といった割と後ろ向きな理由で今がある、とも言えます。
ところが、IT業界で名を馳せた訳でもなく、一介の、むしろロートルのプログラマがやっていけるのか不安がありました、否、あります。*
…ますが、菱川さんの エッセイ:コワーキングは『理想の働き方』じゃない。 #cowjpadv2010 | 神戸のフリーランスWebマスターの日報 の
「手に職を持つ一部の人間が個人としてやっていける」のはフリーランス1.0までである。働き方がロングテール化したフリーランス2.0においては、決して人より優れた特殊な能力は要らない。必要なのはロングテールの中に飛び込むことだ。
に目から鱗でした。
結論めいたこと
軸がずれましたが、自身とコミケやオタク(産業)との関わりについて述べてきました。
「つまりはコワーキングはコミケか? 同人誌活動か? オタクか?」
あ、いや、そうじゃないですよ。
自分とオタクとの繋がりに関しては、オタク・同人(産業)の発展過程と共にあったと思いますが、コワーキングは「これから」ですし、今更過去の経験というか歴史がそのままコワーキングで同じ様に繰り返されるとも…いや、もちろん、新しい仕事のカタチとして遠くない将来「普通」になっていて欲しいですよ。
かつて白眼視されていた(既にこのスタート時点で違う)オタクが拡散して一般化して普通(なのかなー)になったのと同様、コワーキングもそうなって欲しいですし、及ばずながらも協力したいと感じています。
確かに様々なバックグラウンドを持つ者がある目的のために出会って何かを成し遂げる、という側面においてはデジャビュを感じますが、むしろ同一視していません。*
しかし結論はそうじゃなく、「何だ、今まで通り、自分がやりたいようにやってくのが一番良いんじゃないか」ということです。
物凄く個人的ではありますが。
外的要因やあるコミュニティに対する自分の振る舞いって、あまり変わらないなーというのが結論になります、かね。
サラリーマンとして、常駐派遣だった頃の自分もそこそこ楽しかったですが、「守られている存在としての」サラリーマンから踏み出した今、これからどうすれば? に対する自身の思考と覚悟のプロセスとして、Coworking Japan Advent Calendar 2011 を利用させてもらい、自身の半生を振り返ってみた、というのが本音です。
浮草Jelly以降、ロングテールに飛び込みましたし、分厚いダンボール名刺と共に「IT土方のmorryです」と自己ブランディングを行なってきましたし、コワーキング・フォーラム関西2011にスタッフとして参加して自分のできる事を見付けて多少なりともやってきました。
しかし、足りません。
プログラマを名乗る以上、ソースコードで語るのがプログラマの本懐かと思いますが、未だまだその答えを示していないのが「今」です。
本来だと「IT親方」としての振る舞いを期待されるのですが、それはそれとして必要があれば遂行していくとしても、一方でまだプログラミングに対する未練めいたものがあります。*
なので、来年も今年同様のビヘイビアで様々な人々、特に同業者様と出会い影響を受けて* 様々なものを吸収して、プラス、プログラムという結果・形を示していく作業を行なうのが、コワーカーだけでなく、自身を取り巻く人々に対する「信頼」という担保を築いていくのに必要だと考えています。
補足です
自分が本年最後のコワーカーブログになるのかと思い、こういう内容で締めようと考えていました。
「あなたは昨年2010年の今、何をしていましたか? 今年2011年の今、何をしていますか? 何か変化や成長したと感じられるものがありましたか? 来年の今はどうありたいですか?」
自分は昨年2010年年末は訳あって中国アモイで現地プログラマの面倒を見ていました。
勿論コワーキングは知りませんし、ちょうどカットオーバー前の14連荘4徹で、さほど技術的にスキルに長けていない自分が技術的に相談できる知り合いも無く、現地プログラマと上手くコミュニケーションできないこともあり、遅れる作業の中、カットオーバー目前の正月早々「明日、社会的に抹殺される」とまでツイート* していました。
数ヶ月は自分達が構築したサイトは怖くて見れなかったのですが、改めて見た結果、「な、何かイケてるやん…凄いなぁ、みんなで力を出しあってモノ作るのって」と思いました。
確かにサラリーマンだった頃とある意味同じ事をやってるのですが、実感としては今の方がよりそう感じますね。
今年2011年年末は、ありがたい事に当時のご縁から再び仕事を請けさせて貰って、昨年と違った問題もありますが、概して精神的に楽ですね、コワーカー繋がりや大学の卒業生との繋がりがあるので。
来年2012年はどうでしょうね。
マクロ的には政治体制の変化やら国内でも色々と問題ありますしね。*
オタクと自分との関わりに関しては、自身が若く「周りはどうでもいいわ、楽しいからやってきた」と言えますが、今は置かれた状況も違いますしね。
なので、マクロ的見地はどうであれ、凹んでも「決して人より優れた特殊な能力は要らない。」を信条として、先に言った様な事を地道にこつこつと積み重ねて何らかの形でパブリシティ* したり、仕事で実績を示した結果、多少は「前に進んだ、かな」という実感を得れれば良いと考えています。
だから、まだまだ足りない、のです。
以上お付き合いいただきき、ありがとうございました。
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