「ひぐらしのなく頃に」まとめ

「嘘だッ!!」

ゲーム語りの修辞学

何かこういうタイトル付けると難しそうなコト語るみたいだけど、もちろん外しますよ。

いささか古い記事になりますが、Webブラウザのお気に入りを整理していて、何故か残してあった「美少女ゲームは「ゲーム」なのか」について。
何処で知ったのか忘れましたが。
何せ、東浩紀氏の記事なんで、こちらもそれなりなタイトルだけは付けようかと。
でも、揚げ足を取るつもりは全く無いんだな。

学校の教室などが背景。そこに少女の「立ち絵」が入れ替わり立ち替わり現れる。「プレイヤー」は表示されるシナリオを読んでストーリーを追うだけ──こんなPC向け美少女ゲームが、1990年代後半からメインストリームとして人気を集めてきた。

こう書くと、何かまぁ実にアホなコトやってんなーと改めて認識しますね。
「こんなPC向け美少女ゲーム」(以下、「美少女ゲー」)が全てこうなのか、と言うと違うとは思いますが、概ね「そうですね」としか。
「じゃぁ」というコトで、結局の所「自分語り」になってしまうのですが、確かに、「ゲーム」もしくは「ゲーム性」を全面に出した美少女ゲーはありますが1 、大半はぶっちゃけ「紙芝居」もしくは「デジタル絵本」だと認識しております、自分は。
つまり、「本」「映画」等々に準じるメディアであり、とちらかと言うと「ゲーム」とは言い難い、と認識しています。東氏の言う範疇においては。逆に…

ときめきメモリアル」(1994年)、「サクラ大戦」(1996年)など、コンシューマー機で人気を集めたかつての美少女ゲームは、プレイヤーがキャラクターを操作し、次の行動を選んで実行するなど、能動的なアクションがストーリー展開を大きく左右した。

…というのが東氏の「ゲーム」の定義とすると、そこまで能動的なユーザインタフェースを備えた美少女ゲーというのはあるにはありますが、確かに数は少ないと認識しています。
で、能動的にナニをするか? というと、その先にある鬼畜なシナリオ展開(わざと負かしてみたり)を「回収」するとか(笑
もっともこれは能動的でない美少女ゲーでも同様かと思います。つまり、CG・シーンの100%コンプリを目指すため総当り的に選択肢を選択したりと。
なので、その面だけに関しては「ゲーム」「ゲーム性」を感じなくもないです。

主流の美少女ゲームのインタフェースは、「萌え絵の静止画」「背景CG」「テキスト」の3つだけで、ここ10年でほとんど進化していないという。「『最果てのイマ』(2005年)でテキストを囲むテキストボックスが採用されたことが、ここ10年で最大の変化」と東さんは冗談交じりで語る。

これ、オレも冗談だと思います。
しかも最大の変化と言われると、このレベルでは、絵師が誰、CVが誰、シナリオライタが誰、と、かつて流行ったシミュラークルと同じレベルの変化というよりも差異化、という認識です。
ワタシとしては、「最果て」のこのインタフェース、自分はBTRONのOSというか、そういうのを思い出しました。
例えば、こういうコトってありませんかね?
Wikipediaで、とある語句を調べていて、小一時間後気付いたら、最初に調べた語句とは全く違う属性の語句を見ていた、とか。
「最果て」では、そこまではいきません。
幹となるシナリオを補填する意味合いでの語句説明、という印象があります。例えば、士郎正宗のマンガの欄外の書き込み、みたいな。
ですが東氏が「最果て」を例として挙げたのは「らしいなぁ」と思いました。「最果て」って、物語構造そのものに切り込んでいると言うか、上手く言えませんが、セリフ以外の物語の「語り手」についてのあり方、要するにイマの事ですけど、そういう面で「ほぉーっ」と驚いた話ではあります。

そういう面から、主流の美少女ゲーのインタフェースをあえて変える、進化させる必要があるのかな?とも思いますが。
例えばマンガのインタフェース同様で。
主流の美少女ゲーのインタフェースをベースとして、あるヒトは絵師に、あるヒトはCVに、あるヒトはシナリオに興味が行く、みたいなカンジで。ただし変えようとする意思や行動を挫くつもりはありません。
勿論、このインターフェースの弊害(なのか?)として、美少女ゲーをマクロな視点から捉えた場合の閉塞感、みたいなモノは常々感じていますが、結局の所「いいものもある、悪いものもある」ですね。

PCのスペックは向上し続け、表現力が増しているにも関わらず、低スペックで動作可能な極めてプリミティブなゲームが受ける。「プレイヤーは、美少女ゲームのインタフェースに強い思い入れを持っているようだ」。キャラクターを動かしたり、グラフィックスをち密に描き込んだり、プレイヤーの自由度を高めたりすると、かえってプレイヤーからの反発を買うという。

このテのゲームを買うヒトは、ハードに回すカネが無いとか?偏見ですけど。
また、思い入れがあると言うよりは、それらは共通認識であり前提であり、その上で展開される「何か」に興味が行ってると思います。
個人的には、画面を現在主流?の800×600から1024×768にして欲しいかな、と。どうでも良いですが。
プレイヤーの自由度を高める事に関しては、これ、シナリオ作成が難しそうで、自分が知ってる限りでは、mtkさん大絶賛の「ガンパレードマーチ」しか思い浮かびませんけど。

余談になりますが、公園さん、ツカサ君と三人で、美少女ゲーのメーカが結託して、何でもありーの美少女ゲーのオンラインゲーム作ってくれたら面白いですね、と冗談で言ってます。
例えば、「ガンパレ」みたいなコトもできたり、「地獄の黙示録」みたく村を襲って女子供をさらう、と。で、調教してオークションみたいな、オレ達鬼畜だねぇいやいや外道ですよウヒャヒャ…と馬鹿話してました。
いや、ツカサ君曰く、「十八禁に準じるオンラインゲームが無い」と言っていたので。

では、これらが「ゲーム」と受け止められるのはなぜなのか――東さんは美少女ゲームの“ゲーム性”を、インタフェースとマルチエンディングの組み合わせ、そしてコミュニティーに求める。

コミュニティ、この場合、2次創作も含めるみたいだけど、ちょっとpendです。
要するにこれはYesとは言えないですね。
例えば、「最果て」にしてもそうだけど、先駆として「ひぐらしのなく頃に」の方が謎解きのコミュニティの活発さという面では印象的でした。
それに、そこまで含めてしまうと、高橋留美子ファンジンやってきた自分達の活動が「ゲーム」だった…と言い切れるか?と言われると抵抗があります。そりゃ今際の際にそう言うかもしれませんが、そういうレベルの問題で。
少し補足すると、「ひぐらし」って美少女ゲーのインタフェースで出さなくとも、例えば、マンガやラノベでもできていたと思うのですよ。ですが、サウンドノベル(あえて美少女ゲーとは言わないけど)で出す事で、特に初期の段階では、より恐怖感が増した、と感じています。
つまり「ひぐらし」と「高橋留美子」(のマンガ・アニメ)ってある意味同列に思えるのですよ。ひぐらしの竜騎士07氏が、これはゲームである、と思っていたとしても。
要するに、前述した通り、美少女ゲーはゲームではない、と言ってるのが発端なんですが。
なんですが、コミュニティも「拡張された」ゲームである、と言えなくも無いと思います。

以上だらだらと。
ちなみにこれ、ITmediaの記事だったんですね。おカタい印象しかないので意外と言うか。
で、みんな色々と思うトコロがあるみたいで。

2007/01/05

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  1. 1. 「ひぐらしのなく頃に」まとめ
  2. 2. 「嘘だッ!!」
  3. 3. 「ひぐらし」に関する質問
  4. 4. When they cry 2
  5. 5. 【皆殺し編ネタバレ気味】惨劇で笑えるか。
  6. 6. 昭和58年6月、記憶の混乱
  7. 7. ゲーム語りの修辞学

Footnotes

  1. 1. その辺は色々ヤリ込んでいる公園氏が詳しい。